ジャムに恋する3日間 in 銀座
- メディア関係者・SNSインフルエンサー向け
- 招待者限定

魔法の「ジャム」料理ー小諸のおいしい食材とともにー
メディア関係者とSNSインフルエンサーを招待して、ジャムと小諸市産食材を使った魔法の「ジャム」料理を振る舞います。
「ジャムのある暮らし」で食卓をもっと豊かに、そして楽しんでいただくために、ジャムの新しい食べ方・楽しみ方をご提案します。
使用する小諸市産の食材として、ジャムと親和性の高いパン・チーズ・ワインをご用意します。
その他にも、小諸市が誇る発酵食品(味噌や日本酒など)との組み合わせも検討中です。
当日の料理をお楽しみに!
コラム【ジャムと小諸市】
「ジャムの日(毎年4月20日)」という記念日をご存知でしょうか。日本ジャム工業組合(東京都千代田区)が定めたもので、実は長野県小諸市にゆかりのある記念日です。
長野県は、多種多様な農産物が育まれ、果樹栽培も非常に盛んです。明治の文明開化以降、県下各地で果物の栽培がはじまりました。旧北佐久郡三岡村(現 小諸市三岡)では、明治20年代から塩川伊一郎親子が栽培をスタートしました。桃栽培をはじめて3年目から、青果として軽井沢・長野をはじめ首都圏で高値取引がされるようになりました。
順調に思えた桃の首都圏への供給もしばらくすると転換を迫られるようになります。軟果の桃は、傷みやすく、当時の輸送技術・保存技術はあまり発達していなかったことから、輸送中の品質低下により、二束三文での取引を余儀なくされました。
思い悩む塩川親子に手を差し伸べたのは、小諸義塾の塾長を務めていた木村熊二でした。アメリカ留学中に欧米の食文化や産業を学んだ木村のアドバイスもあり、塩川親子は、桃の缶詰加工に取り組むことを決意します。桃の収穫・加工は一時期に集中するため、工場の稼働期間を延ばすために、苺の栽培と加工もすることにしました。桃栽培をはじめて10年の月日を経て、明治30年代に「桃の缶詰」と「苺ジャム」の商品化に至ります。
商品の品質を高めるなかで、全国の品評会での受賞を重ね、販路拡大は、関東をはじめ新潟方面まで広い販路を持っていた小諸町の商店が担いました。そんな中、明治43年4月20日に長野県知事を通じて明治天皇へ「桃の缶詰」と「苺ジャム」が献上されました。翌明治44年からは東京京橋の明治屋から初代「M-Yジャム」として商品が発売されました。
第二次世界大戦下の統制により、塩川缶詰工場を閉鎖となり、多くの桃畑も穀物の栽培地へ転換を余儀なくされました。
(参考文献 塩川伊一郎評伝 小林収 編著 竜鳳書房)
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料理ユニット「浅間兄弟」 鴨川 知征
洋食シェフ。神奈川県横須賀市出身。東京のイタリアンレストランで料理とサービスの知見を広げたあと、2016年に「地域おこし協力隊」として小諸市に移住。イベント出店、出張料理、料理教室、メニュー提案、ウェディング料理提供、食育など幅広い活動を行う。
- 開催日2019年04月19日(金)
- 時間18:00~19:30
- お問い合わせ小諸市役所 経済部 農林課 農業ブランド振興係 TEL 0267-22-1700(代表) メールでのお問い合わせはこちら※お問い合わせの際は、件名に「イベント名」と「開催日」をご記入ください