まち歩き2018web用
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信綱昌輝幸隆 昌幸 (幸村) 大助信尹高勝第2部はじまります真田信繁(幸村)の名言隠れた真田の名所真田氏三代略※MAP P3参照わ6片田舎の土豪でありながら天下にその名をとどろかせた真田一族にくにゅうにん 家が滅亡した後、わずか一年の間に織田、北条、徳川、と情勢に応じ主君を変えるなど、巧みな外交戦術により領土を拡大。一方で上田城を築くなど、戦国大名としての地位を不動のものとしていきます。上州の真田領を巡って、徳川家康との間に合戦がおこった時は、わずか二千で七千の敵を打ち破り、天下にその武名を知らしめました。 豊臣秀吉亡き後、天下の覇者を決める関ヶ原の戦いでは、昌幸と次男の信繁(幸村)が西軍に、長男の信幸(信之)が東軍に分かれて戦うことになり、その前哨戦となる第二次上田合戦で、昌幸父子は三万八千の大軍を上田城で撃退します。しかし関ヶ原の戦いで西軍が敗北し、父子は、紀州(今の和歌山県)の九度山へ流されました。昌幸はその地で没しますが、信繁(幸村)は大坂城へ入城。秀吉の遺児秀頼を守り立てて、大坂冬の陣では「真田丸」を築き徳川方を苦しめ、大坂夏の陣では、家康の本陣へ切り込みますが、衆寡敵せず、戦場の露と消えました。その後の真田家は信之により、家名を存続し、松代へ移封となりますが、明治まで十代に渡って続き真田十万石として栄えました。 片田舎の土豪に過ぎなかった真田氏は、真田幸隆が武田信玄に仕えて頭角を現し、真田氏系図難攻不落の砥石城を攻略。数々のめざましい戦功をたてて、小県郡北部と西上野(今の群馬県西部)まで勢力を伸ばしました。幸隆のあと信綱、昌輝兄弟が長篠の戦いで戦死。急きょ、三男の昌幸が家督を継ぎます。武田 「左衛門佐(幸村)は、ものごと柔和忍辱、物静かで、言葉少なく、怒り腹立つこ信吉之の言葉です。とがなかった。」とは信繁(幸村)の兄・信信幸 真田信繁(幸村)というと、大坂の陣での家康本陣への突撃が印象に強いため( 信 之)  信政に、勇猛な武将というイメージでありますが、実際は、柔和で心やさしい人物で    信重あったようです。信繁 日常は穏やかでありながら、いざという時は武勇を発揮する。その性格が多くの人から信頼を集め、大坂の陣では、まとまりの無い筈の浪人衆を見事にまと 信勝 大八マ的な要素があったのです。めたのでしょう。信繁(幸村)にはカリス 昌親 関ヶ原の戦いの時、真田家に東軍・西軍の両方から誘いがきました。しかし信繁(以下、幸村と表記)は、豊臣家に最後まで忠誠を誓っていたのです。人からの恩義を忘れて私欲をむさぼるような者は人と言えるのか、といった意味です。幸村がいかに義理堅い人物であったかが伺えます。  大坂夏の陣の折、幸村は徳川から「十万石を与える」という条件で寝返るように誘われます。幸村は断りましたが、さらに「信濃一国を与える」という破格の条件が提示されました。その時も幸村ははねのけて、この言葉を使者に伝えたそうです。豊臣家への忠誠を貫き通したことがよくわかるエピソードのひとつになっています。家康は破格の条件で引き抜こうとするほど、幸村を脅威と感じていたのだと言えます。 幸村は大坂夏の陣における道明寺の戦いで殿軍(しんがり)を務めました。伊達政宗が率いる大勢の騎馬鉄砲隊に大打撃を与えた後、幸村はこのように言い放ってゆうゆうと軍を引き返したと言われています。「関東の軍は100万人もいるのに、男らしい者は1人もいない。」という言葉から、幸村の勇ましさが伺えます。真田井戸上田城跡公園内眞田神社境内上田城本丸唯一の井戸で直径2m、深さは16.5mに達する。井戸兼場外との連絡用抜け穴で城北の太郎山の砦に通じていたと言われています。「恩義を忘れ、私欲を貧り、人と呼べるか」「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」「関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候」1←真田信繁(幸村)が家康を追い詰める奮戦の図 (楊斎延一作 真田氏歴史館蔵)アクティビティ【activity】 1、特に、リゾート地などでのさまざまな遊びについていう。 アトラクション【attraction】 1、人をひきつけるもの。 2、催事などで、人寄せのため余興として行われる出し物。さ る と     い わまち歩きガイドブックまち歩きガイドブックさ な  だ  い  どや ま が  じ ん じ ゃ猿飛佐助アール・マム真田信繁(幸村)真田信幸(信之)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真田信繁(幸村)人物像11真田昌幸真田幸隆[上田市立博物館所蔵]Date  ・   ・猿飛び岩角間渓谷角間渓谷には、真田十勇士の一人、猿飛佐助が修行したと言われている岩があります。山家神社創建は古く延喜式にも名を連ねる格式高い神社です。真田一族ほか歴代の上田城主に篤く崇敬され、真田信綱・昌幸の文書等は社宝となっています。コーナーここからは、ガイドブック第2部、「アクティビティ&アトラクション」だよ!

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