なぜ信州味噌なのか(WEB限定記事)
日本人の食卓に欠かせない味噌。長野県内には100軒以上の味噌蔵があり、国内産味噌の約5割のシェアを誇ります。潤沢な清らかな水とはっきりとした四季が美味しい味噌を誕生させたのです。
米味噌、麦味噌、豆味噌など、日本では地域ごとに様々な味噌がつくられています。「信州味噌」は米麹、大豆、塩を原材料とする、冴えた山吹色が特徴の米味噌です。
信州での味噌づくりの起源については、諸説あるものの鎌倉時代、僧侶の心地覚心が長野県東部の佐久市にある安養寺で味噌づくりを広めたといわれています。戦国時代には武田信玄が兵糧として味噌をつくらせたことで、各地で盛んに行われるようになったといわれ、今でも信州には100軒以上の個性豊かな味噌蔵が残ります。
信州の暮らしの中にある味噌づくり
そもそも、味噌は必需品として家庭で脈々と受け継がれてきたものでした。味噌汁だけでなく、採れたてのきゅうり、セロリなどの野菜に味噌をつけたり、油と一緒に炒めたりして味わい、収穫した四季折々の野菜を自家製味噌に漬け込み保存食とするなど、日々の食卓に欠かせない存在です。
信州の農家では冬の寒さが和らぎはじめる3月から4月にかけて味噌玉を仕込んでいたそう。秋冬に仕込むと熟成前に乾燥してしまい、夏に仕込むと熟成前に腐敗してしまうことから、昔はこの限られた時期にしか仕込めなかったのだとか。味噌玉がうっすら白くなりはじめたら、桶に割入れ、夏の暑さで熟成させ、秋から初冬に出来上がりを迎える。まさに信州の四季を生かし、味噌づくりはおこなわれてきたのです。
長野県の北部では、かつては味噌を取り出した桶で野沢菜を漬けていたそうで、桶に残された味噌のまろやかな旨味が野沢菜漬けに加わり、一味も二味も違ったといいます。
時代の流れとともに自家製味噌をつくる家庭はかなり少なくなりましたが、信州の山村部などでは今も家庭での味噌づくりが連綿と受け継がれています。
「大豆を作って出荷していたので、味噌も自分で作りたいなと思ったんですよ。この家に嫁いできたときは、もう味噌作りはやめてしまっていたので、婦人会の味噌作り講習会に参加して、友達と一緒になって味噌作りを始めました。手作りならではの味わいに魅力を感じましたし、何より子どもたちが喜ぶんですよ。これからもずっと続けたいですね」
こう話すのは20年ほど前から、冬の農閑期の空いた時間を利用して味噌づくりを行う長野市西山地区の農家さん。11月に大豆を収穫したら乾燥させ、2月から仕込みを開始。自宅で原料となる米と大豆を洗った後、加工所に持ち込み、蒸し、麹を混ぜ12月まで熟成させるそうです。
「『いちいち温度測ったりしなくても、手で触れた感覚が人肌程度になればいいんだよ』って教えてもらいましたが、やっぱり心配でね。温度計を入れて確認していたのだけど、40度以上になると、菌がみんな死んじゃうんですよ。最初は温度の加減が難しくって、心配で夜中に桶を見に行ったこともありました」
講習会で学んだ後も、熟成期間を変えてみたり、豆を煮るのではなく蒸してみたりと思考錯誤を繰り返してきたそうです。
「私はこの地の自然が好きですし、この地の自然の恵みが私達を育んでくれている。食を通しながら、心を豊かにしてくれるような感覚がありますね」
フランス版ミシュランガイドにおいてアジア人として初めて三つ星を獲得した、長野県出身のシェフ・小林圭氏も信州の味噌について次のように語っています。
「信州の味噌ってフランスでいうフロマージュ(チーズ)と一緒ですよね。近所でも隣同士であっても、菌が違うので味が違う。地域ごと、家庭ごとにいろんな味がある。そこが魅力なんじゃないかと思います」
信州の暮らしの中にある味噌づくり
▲石井味噌 代表取締役 石井 康介さん
石井味噌 代表取締役 石井 康介さん
かまくらや 代表取締役 田中 浩二さん
かつては家庭でつくられてきた味噌ですが、明治時代、製糸業が盛んになると、諏訪湖周辺などの多くの従業員を抱える工場では賄いとして味噌を大量生産するようになり、工場に味噌を卸すため味噌蔵も設立されるようになりました。その系譜から諏訪地域を中心に県内には多くの味噌蔵が誕生。さらに、1923年の関東大震災では、被害のなかった信州から味噌が首都圏へ救援物資として送られ、そのおいしさが首都圏でも知れわたります。首都圏でも好評を博し、信州味噌はさらに発展していきました。
多くの人から支持を得るさっぱりとした旨味と豊かな芳香を併せもつ「信州味噌」。そのおいしさを育む秘訣は何なのでしょうか。
「かつては水が豊富な地でなければ創業ができなかったのだと思います。私達が蔵を構える松本市は、湧き水にも恵まれるなど、水と空気が天然醸造での味噌づくりに適しています」
こう教えてくれたのは、石井味噌の石井康介さん。1868年に創業した味噌蔵の六代目です。
味噌が出来上がるまでには、洗浄、浸漬、蒸すなど水を使う工程が多くあり、水は味噌づくりのあらゆる行程において重要な役割を果たします。山々からの清冽な雪解け水や、日本有数の河川をいくつも有するなど、水資源に恵まれた長野県には各地にさまざまな味噌蔵があります。
中でも、松本地域は諏訪地域に次ぎ味噌蔵の多い土地。東は美ヶ原高原、西は北アルプスと豊かな自然と肥沃な大地、良質で豊富な地下水を存分に生かした味噌づくりが行われています。
石井味噌がある松本城周辺は、地下水が豊富で数多くの井戸や湧水があり、それらを一体的にとらえた「まつもと城下町湧水群」は環境省が策定した「平成の名水100選」にも選ばれるほどです。
▲かまくらや 代表取締役 田中 浩二さん
もうひとつの理由はやはり原料。米、大豆、塩とシンプルだからこそ、原料の良し悪しが味噌の品質にも大きな影響を与えます。
「昔から味噌は、地元の農家が作った原料を味噌蔵が仕入れてつくっていたのだと思います。私達が作った大豆と米に塩を加え、この地の自然環境を生かして醸す、昔ながらの作り方が今でも続けられています。昔ながらの味わいのおいしさをいろんな方に知ってもらいたいのは私達も同じ。生産者と職人が一緒になって、チームで作っているとの思いで作っています」 こう話すのは、農業の6次産業化に取り組むかまくらやの田中浩二さん。石井味噌に原料を供給する事業者の一つです。
日本の味噌の9割以上が外国産大豆を使用しているといわれる中、石井味噌では長野県生まれの大豆品種「ナカセンナリ」を主に使用。また、米も地元棚田米を使用するなど、地元産の原料にこだわります。
製法は杉の木樽で3年の時間をかけて自然の気候に合わせてゆっくりと発酵・熟成をさせる天然醸造。戦後の食糧増産体制時に考案された大手等で行われる速醸方式(加温等を行い、短期間で分解・発酵を行う手法)では2~3カ月で、他の天然醸造を行う味噌蔵でも1年程度で出荷するのが一般的な中、3年もの長い時間をかけて熟成させる味噌は色が濃いのが特徴です。
「天然醸造では温度変化があったほうが、いい味噌ができると言われています。松本は比較的乾燥していて昼夜の寒暖差や、夏暑く冬寒いという厳しい気候は天然醸造の味噌づくりには非常に適している。そして、木桶の中には酵母菌、乳酸菌が住んでいるように、空気の中にも菌が住み着いています。味噌蔵に住みついている酵母菌は何代もかけてつくられてきたもので、一朝一夕にはできるものではありません。原料、空気、長い年月の中で育まれてきた菌など、この気候風土、すべての恵みをいただいて、味噌の色味香りが形成されていくことを実感するときにしみじみと思いますね。あー、ありがたいなと」
作り手、農家、そして自然環境がハーモニーを奏で、つくり上げられる信州味噌。信州味噌を食べるとどこか懐かしさを覚えるのは、そんな原点があるからなのでしょう。
※この記事は2023年3月時点の情報です。取扱商品等は変更になっている場合がございますので、ご了承ください