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“そば文化”のルーツは信州にあり!?信州そば歴史探訪

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いよいよ新そばの季節が到来。山々に抱かれた地での栽培に適していたそばは、信州各地の風土や歴史の中で姿を変えて引き継がれ、人々の日常の食に欠かせないものとなりました。「そばといえば、信州」発祥の地を訪れ、その所以を紐解きます。

奈良時代にはすでに存在していた信州のそば

そば畑
戸隠山をバックに広がるそば畑。日本三大そばに数えられる「戸隠そば」も、霊山戸隠山へ訪れた山岳修験道の修行僧から栽培方法が広がったといわれています。

“そばといえば信州”というほど、長野県は全国を代表するそばどころ。その歴史は奈良時代まで遡ります。全国に山岳修験道を広めたとされる役小角(えんのおづぬ)が修行中、現在の伊那市を訪れた際、もてなしのお礼に携行していたそばの実とその栽培方法を伝えたのが、長野県におけるそば栽培の始まりとの説が残っています。また、『続日本紀』によると、722年には救荒作物としてそばの栽培が奨励されていたそう。鎌倉時代に入り、中国から石うすが伝わりそば粉ができるようになると、食べ方のバリエーションが広がりました。


木曽路で誕生したとされる「そば切り」

そばの脱穀の様子
「本山そばの里」でのそばの脱穀の様子。地元産の原料にこだわり、近隣の畑で栽培された「信濃一号」という品種を自家製粉したそば粉を使用しています。

そば切り発祥の地 本山そばの里企業組合
落合 功さん

現在は麺として食されることが多いそばですが、古くは粒のままお粥にしたり、粉を挽いてそばがき、そば焼きなどの方法で食べられていました。諸説あるものの、生地を練って薄く均等に延(の)し、包丁で麺の形に切る「そば切り」は、長野県木曽周辺で誕生し、全国へ広がったとされる説が有力です。長野県大桑村にある木曽三大寺のひとつ「定勝寺」の改修記録である『定勝寺文書』には、1574年に「振舞ソハキリ 金永」との記述が。これが、そば切りに関する日本最古の記録とされています。また、松尾芭蕉の門下生だった森川許六による1706年発刊の『風俗文選』には、「そば切りといっぱ、もと信濃国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける」という記述が残されており、木曽路の宿場町・本山宿からそば切りが広がったといわれています。本山宿には殿様が泊まることも多く、「ハレものにそばをふるまった」との記録もあります。

そば打ち職人
「本山そばの里」では地元女性たちを中心に約15名のそば打ち職人が在籍しています。

これらの背景もあり、そばは次第に諸大名から将軍家に献上されるまでの地位を確立。17世紀中頃以降は江戸を中心にそば切りが普及し、広く親しまれるようになりました。

詳しくはこちら https://www.ginza-nagano.jp/?p=49036

[そば切り発祥の地 本山そばの里企業組合]
TEL 0263-54-6371
http://www.alps.or.jp/motoyama-sobanosato/


伊那の地から広がった信州のそば文化

そばの脱穀の様子
辛み大根のおろし汁と焼き味噌で食べる「高遠そば」。現在は市内11店舗で楽しめます。

信州そば発祥の地 伊那そば振興会
飯島 進さん

海から遠く離れた長野県。かつては、そばつゆに欠かせないカツオや昆布などの出汁(だし)の材料が入手困難だったことから、現在の伊那市高遠では地大根の汁に、囲炉裏で焼いた味噌を溶いた漬け汁の「からつゆそば」が食べられていました。1582年に徳川家康が高遠を訪れた際、大根おろしの料理を振る舞ったと島村利正著の『清流譜』に記された料理こそが、この「からつゆそば」だと伝えられています。

そば打ち職人
「信州そば発祥の地」と銘打ち、地域振興に取り組む伊那市。春には「天下第一の桜」とも称される「高遠城址公園」の桜を求めて多くの観光客が訪れます。

江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の四男・保科正之は、初代高遠藩主の保科正光に預けられ、高遠で育ちました。正之は高遠のそばが好きだったそうで、やがて山形や会津へ移る際、信州のそば文化も伝えたといわれています。それこそが「信州そば発祥の地」とされる所以です。諸説あるものの、正之が山形藩に移ったことで山形に「寒晒しそば」が根づき、会津若松では今でも「高遠から伝わったそば」として「高遠そば」の名で「からつゆそば」が親しまれています。

詳しくはこちら https://www.ginza-nagano.jp/?p=49039

[信州そば発祥の地 伊那そば振興会]
TEL 0265-78-4111(代)(伊那市観光協会内)


時代にあった製法や食べ方が誕生

柄木田製粉の人気商品
干しそばの話を伺った柄木田製粉(株)の人気商品。顧客のニーズに合わせた商品を展開します。

柄木田製粉株式会社
柄木田 豊さん・山内 善貴さん

打ち立てのそばは、香り高くて風味よく、喉越しなどが楽しめる反面、保存がきかない一面も。そこで、いつでも気軽にそばを楽しめる様、保存性を考えて開発されたのが「干(ほ)しそば」です。明治時代に長野市のそば店「大和屋本店」の塩入三代吉氏が生そばを乾燥させ、製品化したのが始まりといわれており、その後、県内各地で干しそば生産が盛んに。今でも長野県が圧倒的なシェアNo.1を誇ります。生麺にも引けを取らない喉越しや風味を味わえる本格干しそばも誕生。このほか、技術の進歩や職人たちの試行錯誤の末、製造の過程で切れてしまうなどの理由で乾麺では難しいとされていた十割蕎麦や、食塩不使用でそば湯も楽しめる商品など、ニーズに沿った干しそばが生み出されています。ざるそば、かけそば以外にも、油で揚げると酒のつまみとしても楽しめ、生そばとは違った食べ方ができるのも干しそばの魅力です。

アレンジレシピ
柄木田製粉(株)のウェブサイトでは様々なそばのアレンジレシピを紹介しています。

さらに、ファストフードの先駆けともいえる「駅そば」も、列車の車両交換の長い待ち時間に乗客に対して料理を提供しようと軽井沢町で誕生したサービスだといわれています。

このように、信州の日常に寄り添い、変化を遂げてきたそば。近年では干しそばや半生そばの海外輸出も伸びており、その文化は日本を越え、世界にも広がりを見せています。

詳しくはこちら https://www.ginza-nagano.jp/?p=49043

[柄木田製粉株式会社]
TEL 026-292-0890
https://www.karakida.co.jp/

この記事は2021年10月時点の情報です。
取扱商品等は変更になっている場合がございますので、ご了承ください。

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